3月23日つなわたり:ステートメント

てんとうむしのつなわたり:3月23日  ステートメント

「落ちるかもしれない。いや、踏ん張ってもう少し進もう。今度は本当に落ちる。いや何とか持ちこたえた。ひたすらこれの繰り返し。やがて綱の端が現れる。。。こんな感じです。」

綱渡り師:岡本勉(トムらっはい)氏への綱渡り中の心境 インタビューより

展覧会場にきてみれば、会場のあちこちに綱が張りめぐらされ、常時、綱渡り師数名がその上を歩いている。そんな「非日常のあたりまえ」の光景を作り出したい、この企画の当初は胸を躍らせていた。その時点からすれば不本意ながら、現段階ではこれに時間設定をしてパフォーマンスとして、限られた場所のみを観ていただく運びとなり、それを実施する上でのステートメントを用意させていただくこととなった。

ただ当初の目標とは全く別物の経緯と結果をたどっていようとも我々は、その現状について落胆はなく、むしろ希望に溢れている。もう長くは説明しないが、ここまでたどり着くまで本当に紆余曲折あった。wah documentの活動としてもこれほどの思いは経験がない。また当センターにとっても始って以来、これほどの例はないと、いろんな人に伺った。様々な面で「作品だから」「おもしろいから」といってもクリアできない問題と対面し限界を渡ってきた。そして、、、東北地方太平洋沖地震が起きた。想像を超えるほど悲惨な事態であった。プロジェクトは自粛を考えた。しかし「やめなくてよい。」これが担当者の判断、そして「こんなときこそやってほしい」これがてんとうむしプロジェクトのボランティアスタッフの声だった。この状況ですごい判断だと思う。wah documentは連日のワイヤー設置の準備に追われ、肝心な場面であってもなかなかそれが即答できる程、頭が回っていなかった。いや、恥ずかしいことだが、そこまでの考えがなかったのかもしれない。

しかしその判断は、展覧会の開催についてにとどまった。今日渡ろうとしている2Fの綱渡りに関しては、センターから中止を含めた修正を求められた。2Fの綱渡りはてんとうむしプロジェクトにとっては生命線だった。我々自身の心の底から「やる」という理由が、今、出なければ、前述の「やめない」という理由では足りなかった。

2Fの綱渡りの予定日は目前である。担当者を中心に進めたセンターとの会議は、この時点から昨夜まで含め12時間以上に及ぶ。中止は決定されていた。我々はあきらめなかった。しかし、「勝った」のではない。センターが許可したのである。昨日の21時まではもう「できない」と判断されていた。充分に話も伝えた上で、芸術をいかにとらえるかという議論ではなく、公的にこれを適当とすることがこの時点で誰にもできなかったのである。

その後、会議は一変し21時30分頃、話が決着した。ここで話された内容は是非それぞれにお考えいただきたい。

1995年に発生した阪神淡路大震災。当時の芸術関係者は、芸術の無力を痛感したという。それから日本各地にアートプロジェクトや芸術施設が起ち上がる。無力からそれを有力に変ようとする可能性、日本の芸術の土壌が作られたのである。ここ京都芸術センターも例外ではない。当時の過酷な状況の中、このアートセンター設立の計画が進められ、震災から僅か5年後の2000年にオープンした。

そして前の震災から16年。我々が、今、この状況の中で渡ろうとしているものは何なのだろうか。

てんとうむしプロジェクトという小さな活動体が、今、何か大切なものを渡ろうとしている気がしてならない。

wah document÷てんとうむしプロジェクト

南川憲二

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