wahの現状2:京都

明日23日の綱渡りが、先ほど許可された。奇跡である。

会議は4時間半に及んだ。相等シビアなものだった。もう絶対に何を言っても考えを共有できないと思った。そういう人なのだと思い始めた。何度話してもこたえはNOだった。帰着点はなかった。取りやめた場合、契約上どういう問題が起こるかという具体的な話も始まってきた。

「キレたらおわりやで。」これがスタッフからもらったお守りだった。

僕も増井もキレはしなかった。(ちょっとだけしか。)

昨日ブログ上げた思いの丈は、丁寧に全て説明した。芸術の捉え方が違った。

ゲリラでやるか?それは絶対にしたくなかった。特に担当者がそこに熱かった。

昨日書いたとおり僕らは「許可」が欲しかった。

来年に延期?それもあり得ない。どんな条件をもらっても、もうこのプロジェクト絶対に起ち上げられない。それはコアメンバーが実感としてよくわかっていた。

公的な場所で、今これは許可できない。この一点だった。それを変えるのは、不可能だと思った。

あたりまえのことだが、相手は個人であってそうではない。僕らがどんな鋭利な考えをぶつけてもそれが適当とされることはない。まして主に話しているの相手は我々よりも遥かに知識を持ち合わせている人物だった。せっくこのプロジェクトで培った実感を言葉にして提示しても、内容をより上位の概念の解釈によって返そうとすることを繰り返すゲームに化してきた。

「取りやめ」、あるいは譲歩して「延期」、それがだめなら「中止」せざるを得ない。どうするか?

最もな意見に聞こえる。しかし矛盾点もある。根本的な考えの相違は議論にならない。

話がおさまらない。感情は役にたたない。

最後に言おうとしたのは「思い」だけだった、会議が始まって4時間が経過。何度も話してわかっていることだろうと思ったが、もう一度これまでのプロジェクトの経緯を説明した。

思いが通じた。ウソみたいだった。これだけ距離があって対立していても「伝わる」ことがあるんやと思った。言葉に魂が宿ったようだった。するっと相手の口の中へと入っていった。

我々が、この会議で「これは難しい」と思ったのは、考えがどうではなくて管理上の立場を(ある程度)理解しているという点にあったと思う。しかし、それを許可してくれたということは、すごいことかもしれない。

それから、言い渡された懸念点(安全確保の制度をあげることなど)とも紳士に向き合おうと思う。

今回の綱渡り師「トムらっはい」さんに、綱を渡っている最中の心境を尋ねたことがある。

「落ちそうだ。でも踏ん張って進もう。また落ちそうだ、でも耐えよう。今度は本当におちそうだ。でもなんとか持ちこたえた。これをひたすら綱の上で繰り返している。すると綱の端が見えてくる。。。こんな感じ。」と。

思えば、ここに書いたのはあくまでセンターへの実現交渉の局面のみであり、他に役所的に、物理的に、コンセプト的に、予算的に、などいろんな問題があり何度も落ちそうになりながら進んできた。今度ばかりは本当におちそうになったが、また耐えて進んだ。

そして、このてんとうむしプロジェクトは何を渡っているのだろうか。

また、阪神大震災後の過酷な状況の中、計画され2000年に誕生したという京都芸術センターは、この新たな大震災の状況の中、何を渡そうとしているのか。

京都の小さなアートプロジェクトが渡ったこの綱を是非みにきて欲しい。

何もなければ(絶対にないようにするが)展覧会は27日(日)まで開催されている。

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