wahの現状:京都

京都芸術センター「つなわたり」は、今大きなヤマ場を迎えている。といっても、3tもの加重がかかる綱渡りの技術的、安全的、物理的、一切傷をつけてはいけない登録文化財の保護への対応、などなど「つなわたり」の実現性に伴ったヤマ場は、我々wahスタッフ、芸術センターボランティアスタッフ、芸術センターの事務局スタッフ、いろんな協力者の方々と共に多くの問題を乗り越えてきた(もちろん最後に成功するまでは「完全に」とは言えないが)。

僕のこれまでの経験の中でと言えば、たかが知れているかもしれないが、それでも、過去の経験の中でこれだけ難しかった例はなく、特に京都の行政が関わる登録文化財であるこの場所の性質に加え、持ち時間や予算の少さもあり、ここまで持って来れたのは奇跡に近い事が何度か起こったことにある。そして今乗り越えようとしている問題は、それとは性質の違う、芸術センターそのもの、またwahの活動の根源、もっと大きく言うと芸術の可否に関わる問題である。

事の発端は今、日本中が直面している東北地方太平洋沖地震である。これを受け、本展覧会、京都芸術センター:wahdocument÷てんとうむしプロジェクト「tightrope walking てんとうむしのつなわたり」展は、センター側内部から「取りやめ」の意向をうけた。展覧会の自粛ではない。そうであれば、我々もこの状況であることを承知でやっているので、延期や中止等の処置の相談にこたえたいと思っている。そうではない。厳密に言うと、「綱渡りを見た人が、地震を想起させて不安を増大させる可能性があるから取りやめて欲しい。」と言われている。10歩譲って、それが実際にありうるとして、会場に本展についての説明をするブースを設ける。また、会場に入る際、綱渡りが校舎の高いところで行われること(場所と時間)を伝え、観客が見ないという選択肢を設ける。などの対応を考えられる。しかし、それでもどうしても「取りやめ」を行って欲しいという意向は変わらないと。どれだけ聞いても、理由がそれ以上明かされなかったという。自粛ではなく僕たちプロジェクトを行っている側から鑑賞者の不安を配慮してとりやめて欲しいと。それも昨日、伝えられた。もう展覧会は3月8日から始まっている。そして問題の校舎間の綱渡りは明後日、23日行われる段取りで進んでいる。この展覧会がプロジェクトベースであり、僕が責任あるコアメンバーの一員である限り、自分のできる範囲、公開したいと思っている。

この展覧会は、「芸術センターのボランティアさんたちと展覧会を作って欲しい」とのオーダーを芸術センターからwah documentが受け、昨年の12月から始まった。

期間の事や予算のこともあって、始めは展覧会の外枠を僕らで決め、その中でボランティアさんに表現してもらおうと思っていた。その企画は自分でいうのも何だが、なかなかハイセンスな枠の中での企画になっていた(いつかまた見せたいと思っている)。ただ、初めてのプレゼンやミーティングの中で高校生から90歳くらいまでのボランティアさんに、wahの活動が、これ以上ない程ボロッカス(それなりに批判の場にもさらされて来たと思っていたが、かなりのものだった)に言われたり、また、ボランティアさんが(長い人で10年以上)芸術センターに関わってる理由を聞く場面があった。(詳細はいつか映像で是非伝えたい)それぞれのボランティアさんがこのセンターで培った「実感」が伴った、僕らの胸に突き刺さる鋭い意見であった。それを受け、企画の路線を一挙に変更し、このボランティアスタッフの方達と話し合い、京都芸術センターで実現したいアイデアを出して実現するという最もシンプルな企画としてスタートさせた。そして、アイデアミーティングを重ね、アイデアを決定する会議のまさに終盤、危険性が懸念されそれほど人気がなかったアイデア「つなわたり」が、ボランティアさんの一人の主婦の熱弁(机をたたきながら「これをしないで、何がアートだ!」)により一気に拍手が上がり、他に年配方や若者に人気のあったと同等の価値が見いだされた。僕はその瞬間、まだwahが続けられると悟って涙が流れた。※正直、50回以上活動を続けていると、アイデアの先がみえてしまうことにとらわれだす=参加者の感覚をマジで信じられなくなる。と、wahを続けるのには無理があると考え始めていた。それがこの瞬間「まだまだやれる」と思ったのだ。

そして、センターのスタッフと話し合い、選ばれた3つのアイデアの中で最もリスクの高い「つなわたり」を是非やろうと、「てんとうむしのつなわたり」をスタートする。それから紆余曲折、膝から崩れそうな実現への困難さを、wahスタッフとセンター事務局のスタッフたちと乗り越え、会期目前をむかえた。会場のあちこちを「常に綱渡り師が(数人)歩いている」という非日常的な光景が、あたりまえに常時なされている状況を展示できると胸を躍らせた。しかし展覧会開始の3日前、「安全確保が確実にできるとは言えない」という理由により、「常時、綱渡りをすることはできない」との意向を受けた、確かにもうギリギリのところで進めており100%の準備ができていなかった落ち度もあり、取りやめざるを得なくなった。また会期中の2日間だけであれば十分な安全確保の対策ができると、2日間のみ綱渡りが許可された。「なぜ?」ここでも言えばキリがない程、不毛な思いをした(このあたりの映像は部分的に芸術センターに展示している。)ここでくじけては元も子もないと、その2日で見せきってやるしかないと誓い、また、ボランティアさんの「それでも綱渡りを見てみたい」という意見もあって(自分たちもみたかったし)、ほとんどの来館者が「なんや、つなわたりしてないやんけ。」と思うだろうという、開催する上で最も大きなリスクを背負っての、我慢の展覧会をオープンさせた。そして、、、地震が起きた。数日後展覧会はどうするか、との話が上がった、「やめなくてよい。」これが担当者の判断。会場を常に看守してくれているボランティアスタッフは「来た人は喜んでいる」「むしろ、こんな時こそやってほしい。」と。担当者もボランティアも、すごい判断だったと思う。僕らはワイヤー設置の準備に追われ、肝心な場面であっても、なかなかそれが即答できる程、頭が回っていなかった。いや、恥ずかしいことだが、そこまでの考えがなかったのかもしれない。しかし客足は少し遠のいた。なかなかこのタイミングで作品を見る気にはならないのか。

そして地震から10日が経過した昨日、センターから許可された綱渡りの実施日(3月23日)の3日前に再度「取りやめ」の意向を伝えられた。もう、綱渡り師の方は東京から家族を和歌山に疎開させて一人でこの状況のなか、たくさんの道具を運んで京都芸術センターに来ている。

僕らは、そもそもこの芸術センターに関わったこと自体もを疑った。

その夜、憤りをおさえながら、僕は相方の増井に質問を突きつけた。「お前は何でこんなに大変な時に、税金を使って表現したいと思っているのか。」「これをやめて、今もなお人の命が亡くなっている被災地にお金を送った方が世の為ではないか」 増井は「そう言われるとわからない。けど俺はこんな時に無料で美術館が解放されていたらいいと思う。」そのこたえにしばらく戸惑ったが、その応えを元にを話を極論づけてゆくことができた。「ここが仮に被災地だったとしたら俺たちは何をやるべきか?」と考えた。二人とも結論は「つなわたり」だった。僕らにできることはまさにこれであり、そして、今この可否を世に問うことだと悟った。それは人々を希望に包み込むかもしれないし、もしくは確かに恐怖を抱かせるかもしれないことである。しかし、それを表に出し世に問うことは、我々が存在する根拠であると悟った。

先日、私のある恩師からこんなメールが届いていた(記憶の限り一部を抜粋)

日本の今日のアートプロジェクトの発端は、阪神大震災である。当時のアート関係者が無力さを痛感し、その後アートに「何ができのるか」と考え続けたことにある。それから16年の年月が経ち、更なる大規模な地震が起こってしまった今、我々は何を思うのか。と。

僕らは、阪神大震災以後「何ができるのか」という思いを込めてひたすらつくられてきた「何かができる土壌」に立たせてもらっている。2000年にオープンした京都芸術センターはまぎれもなくその一つの例である。私はこの土壌が培ってきた「実感」と共に、今度はこの日本にアートの可否を問いたい。我々のこたえはもう整っている。そして行動している。しかしそれを世に問いたい。アートはこの場所(あるいは国)で今、起こるのか否か。今日、芸術センターのボランティアスタッフが15名程集まる機会がありそこでも尋ねた。彼らは即答で可。「アートは地震の時こそ必要だ」と。また「アーティストとセンターは今、それを発信すべきだ」と。10年、この土壌が培った「実感」が肥やしとなった。あとは種がここで発芽するか否か。センターにもう一度、明日問う。明日22日センターの幹部と話し合う。結論を求める。

それが僕らのこの場での使命であり、てんとうむしプロジェクトのミッションである。

結果は、23日当日できれば会場でご覧いただきたい。それまでプロジェクトとしてはこのように公開はしているものの、慎重に行動したい。どうかあたたかく見守ってて欲しい。もし意見があれば僕たちに直接いただきたい。

info@wah-document.com

そしてこれをきっかけに、wahの活動の意義として、もう一つ世に問いたい。

世界中で多くの国際展に参加しているある日本人アーティストと話す機会があった。その方いわく「日本は世界で一番、(街中などでの)作品設置の許可が下りない国だ」と。なにはともあれ、芸術表現が大事だとか、必要だとされていない国の一つの証である。西欧から持って来たのアートと、そのルールに乗った作品をその箱の中でやってゆけばいいと。我々の生活には関係するなと。

しかし、それが悪いことではない。悪いも良いも、根源的に僕たちは、この日本の日常の中に暮らしていて、芸術なるものを起こし、そしてそれが重要ではないかと考える経緯や実感が単になっかたのだ思う。

僕は小学生の頃から若干wahのような活動をしていたがそこにはアートもアーティストもいなかった。こんなこと「やっていい」という土壌=芸術大学に感動したのがこの進路を選んだ一番大きな理由だった。やってもいい土壌があること。それが実感だった。

そこから、今度は僕らがやっていることの可否を世に問いたい。それがアートがまさに起こりうる国で活動する根源である。

僕らはこの思いを胸に次のプロジェクトを展開したいと思っている。

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今、センターとの会議を目前に、一本のワイヤーが張られた.

3月22日午後4時追記。

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